2010年01月31日
年をとり大人になり、何かを失う
やることや考えるべきことが多すぎると、無意識ながらも人間は、
どこかでバランスを取ろうとしますねー。だからなのか、
ただいま映画に陶酔中。昨日から4本見たぞ!
そのせいでちょっと、頭がウニになってます。
そろそろ仕事せんとまずいのです。
しかしその前に、昨日のことを…。
昨日の沖縄市産業まつりで、思わぬ人に遭遇したのだった。
何年ぶり? お互いに歳を取ったのか、それともハーフであるためか、
最初は「彼」だとは、わからなかった。
10年前は、ほんとに、ばかみたいに、みんなで遊んだっけ。
当時の遊び仲間達は、国内外へとバラバラになり、
新しい家族を得たり失ったり、それぞれに、進む道が
別れて行ったっけ。
そして、みんな、ちょっとした何かを、失ったと思うのです。
私にとって、それは、本当に、何ものにも変えられない、
人生のなかの、ほんのいっときの自由な時間でした。
もしかしたらアレが、私にとって青春と呼べるものだったか。
年齢うんぬんは関係ないです。精神が自由な時間でした。
こうやって人は、大人になっていくのかなぁ。彼もまた、
その過程にあったと思うのです。あの時の仲間たちと、
いつかゆっくりと、飲みたいものです。
どこかでバランスを取ろうとしますねー。だからなのか、
ただいま映画に陶酔中。昨日から4本見たぞ!
そのせいでちょっと、頭がウニになってます。
そろそろ仕事せんとまずいのです。
しかしその前に、昨日のことを…。
昨日の沖縄市産業まつりで、思わぬ人に遭遇したのだった。
何年ぶり? お互いに歳を取ったのか、それともハーフであるためか、
最初は「彼」だとは、わからなかった。
10年前は、ほんとに、ばかみたいに、みんなで遊んだっけ。
当時の遊び仲間達は、国内外へとバラバラになり、
新しい家族を得たり失ったり、それぞれに、進む道が
別れて行ったっけ。
そして、みんな、ちょっとした何かを、失ったと思うのです。
私にとって、それは、本当に、何ものにも変えられない、
人生のなかの、ほんのいっときの自由な時間でした。
もしかしたらアレが、私にとって青春と呼べるものだったか。
年齢うんぬんは関係ないです。精神が自由な時間でした。
こうやって人は、大人になっていくのかなぁ。彼もまた、
その過程にあったと思うのです。あの時の仲間たちと、
いつかゆっくりと、飲みたいものです。
2010年01月29日
やりたいことだけをやろう!
このあいだ、
社会人から学校に戻って勉強中のNさんが、面白いことを言いました。
「やりたいことがあったら、やるべきだ。後悔しない人生をおくろう、
という風潮があって、先生もそう言ってくれるけど、その反動として、
学生たちは、やりたいくないことはやらなくていいんだなと、
思い込んでいる」
こりゃあ、ガツーンでした。
そーか、そーか、やりたいことだけやってれば、世の中OKという思いこみか。
それはとっても怖いなぁ。人生ってのは、やりたくないことのほうが多くて、
やりたくないことをやってるうちに、生涯の生きがいになることだってあるし。
でも、誰だって、やりたいことだけやってたいよね。やりたくないことを、
無理してやるのはイヤだよね。でも、やんなきゃならない世の中だよね。
やりたいことをさがしているうちに、
いつのまにか年とって、何もつかめないまま、
人生終わっちまうことだって、あるなぁ。
若いNさんに、大事なことを教えてもらっちゃった。
社会人から学校に戻って勉強中のNさんが、面白いことを言いました。
「やりたいことがあったら、やるべきだ。後悔しない人生をおくろう、
という風潮があって、先生もそう言ってくれるけど、その反動として、
学生たちは、やりたいくないことはやらなくていいんだなと、
思い込んでいる」
こりゃあ、ガツーンでした。
そーか、そーか、やりたいことだけやってれば、世の中OKという思いこみか。
それはとっても怖いなぁ。人生ってのは、やりたくないことのほうが多くて、
やりたくないことをやってるうちに、生涯の生きがいになることだってあるし。
でも、誰だって、やりたいことだけやってたいよね。やりたくないことを、
無理してやるのはイヤだよね。でも、やんなきゃならない世の中だよね。
やりたいことをさがしているうちに、
いつのまにか年とって、何もつかめないまま、
人生終わっちまうことだって、あるなぁ。
若いNさんに、大事なことを教えてもらっちゃった。
タグ :人生
2010年01月16日
嫁入り先はどこじゃいな?
2009年11月23日
ガールズたちのナイトゲーム
総勢60人もの人が参加したコザ・ミステリーナイトツアー。
確か去年のこの時期でした。那覇からバスで参加した方々のうち、
3分の2以上がバスに乗る時間を自ら進んでオーバーしてしまい、
どっぷりとコザ遊び。それほどに楽しいゲーム感覚の夜遊びでした。
これがまたもや、実施されることになりそうです。今回の参加者は、
おシャレな、おシャレなガールズたち~♪ わ~お。
しかし美女たちのコザ遊びとなれば、これまでとは違うセレクトで。
ドレス姿が映える店で、かつ、那覇的ではない、つまりは、
やっぱコザだろコザ、という雰囲気を醸し出しつつも、
あららオシャレ~、じゃないとだめさ~ね~。うーむ。

確か去年のこの時期でした。那覇からバスで参加した方々のうち、
3分の2以上がバスに乗る時間を自ら進んでオーバーしてしまい、
どっぷりとコザ遊び。それほどに楽しいゲーム感覚の夜遊びでした。
これがまたもや、実施されることになりそうです。今回の参加者は、
おシャレな、おシャレなガールズたち~♪ わ~お。
しかし美女たちのコザ遊びとなれば、これまでとは違うセレクトで。
ドレス姿が映える店で、かつ、那覇的ではない、つまりは、
やっぱコザだろコザ、という雰囲気を醸し出しつつも、
あららオシャレ~、じゃないとだめさ~ね~。うーむ。
2009年10月05日
10年以上も会っていなかったのに
昨日行われた那覇の「うきうき浮島綱引き大会」において、
どーみても負けそうなチームコザが、那覇市の新人チームを打ち破りました。
この模様はあとで御紹介♪
これを祝して那覇で飲んだくれていたところ、突然かかってきた電話。
コザからでした。私を訪ねてきた人がいるという。
「韓国の会社で一緒だった方だそうですが」。
「???」
遠い遠い昔のことではないか。10年以上も前です。ダレだろ。
その人と電話をかわってもらいました。すると、
「ひどーい、私のことを忘れたんですかー?!」
その一言で思い出した。埼玉に住んでいたEさんです。
沖縄にきて、迷いながら2時間かけてコザに行ってみれば、
私は那覇でのんびりと綱引き見学、しかもまだ那覇で飲んでおるとな?
そこで那覇に戻ってきてもらうことにしたのですが、彼女は、
10年前とほとんど変わらない元気な笑顔であらわれました。
しかも、イケメンの婚約者を連れて♪

Eさんは、7年前からソウルに住んでいるそうです。
婚約者のチャンさんと結婚することになり、その報告のために
実家のある埼玉に戻ってきたとのこと。そのついでに(?)私を探してくれたようです。
一緒に飲んでいた人に、私との関係を聞かれた彼女が言った一言は
「まさこさんに育ててもらいました」……。
うーん、びっくり。それは、良くも悪くも、何らかの影響を与えてしまったということだなぁ。
そういえば、在日コリアン社会に引きずり込んだのは…、私であったかなぁ~。
私が離れたあとも、彼女は韓国文化院や民団(在日本大韓民国民団)とかかわり、
そして韓国へ。
この夜、韓国に遊びに行くことを約束して別れました。
私は、どんなに親しくしていた人であっても、
日常的に連絡を取るということを一切しないので、
距離がある相手だとたいていは縁が切れていきます。それには、拒否とか、切る、
といった意味はまったくなくて、単にズボラ。
だから、会えばすぐ元通りになるし、連絡していただいた方とは、
別れた時の時間に遡って、昨日と今日をがつながります。
こうやって、思い出して、10年以上もあっていなかった人が、
訪ねてきてくれたことに、驚くとともに、感謝しています。
ズボラではあけれど、韓国行きは約束したので、守ります!
どーみても負けそうなチームコザが、那覇市の新人チームを打ち破りました。
この模様はあとで御紹介♪
これを祝して那覇で飲んだくれていたところ、突然かかってきた電話。
コザからでした。私を訪ねてきた人がいるという。
「韓国の会社で一緒だった方だそうですが」。
「???」
遠い遠い昔のことではないか。10年以上も前です。ダレだろ。
その人と電話をかわってもらいました。すると、
「ひどーい、私のことを忘れたんですかー?!」
その一言で思い出した。埼玉に住んでいたEさんです。
沖縄にきて、迷いながら2時間かけてコザに行ってみれば、
私は那覇でのんびりと綱引き見学、しかもまだ那覇で飲んでおるとな?
そこで那覇に戻ってきてもらうことにしたのですが、彼女は、
10年前とほとんど変わらない元気な笑顔であらわれました。
しかも、イケメンの婚約者を連れて♪
Eさんは、7年前からソウルに住んでいるそうです。
婚約者のチャンさんと結婚することになり、その報告のために
実家のある埼玉に戻ってきたとのこと。そのついでに(?)私を探してくれたようです。
一緒に飲んでいた人に、私との関係を聞かれた彼女が言った一言は
「まさこさんに育ててもらいました」……。
うーん、びっくり。それは、良くも悪くも、何らかの影響を与えてしまったということだなぁ。
そういえば、在日コリアン社会に引きずり込んだのは…、私であったかなぁ~。
私が離れたあとも、彼女は韓国文化院や民団(在日本大韓民国民団)とかかわり、
そして韓国へ。
この夜、韓国に遊びに行くことを約束して別れました。
私は、どんなに親しくしていた人であっても、
日常的に連絡を取るということを一切しないので、
距離がある相手だとたいていは縁が切れていきます。それには、拒否とか、切る、
といった意味はまったくなくて、単にズボラ。
だから、会えばすぐ元通りになるし、連絡していただいた方とは、
別れた時の時間に遡って、昨日と今日をがつながります。
こうやって、思い出して、10年以上もあっていなかった人が、
訪ねてきてくれたことに、驚くとともに、感謝しています。
ズボラではあけれど、韓国行きは約束したので、守ります!
タグ :韓国
2009年09月13日
3年ぶりに名古屋アキ
野郎たち、ご機嫌です。

だって、名古屋のアキちゃんが、3年ぶりに来店だー!

むかしむかーし、コザクラのチーママさんとして、北海道のHちゃんと並んで、
看板娘を務めてくれていました。地域のおじさんたちにとっては、
娘のような存在です。

昨夜は、アキちゃんお帰りパーティが、延々と続いたのは、言うまでもない…。
今回は名古屋の友達と沖縄旅行を楽しんでいます。
コザで出会って別れて、それぞれの人生がまた交差する。
次に出会うとき、みんなはどんな道を歩んでいるのだろう。
人間って、不思議だ。

だって、名古屋のアキちゃんが、3年ぶりに来店だー!

むかしむかーし、コザクラのチーママさんとして、北海道のHちゃんと並んで、
看板娘を務めてくれていました。地域のおじさんたちにとっては、
娘のような存在です。

昨夜は、アキちゃんお帰りパーティが、延々と続いたのは、言うまでもない…。
今回は名古屋の友達と沖縄旅行を楽しんでいます。
コザで出会って別れて、それぞれの人生がまた交差する。
次に出会うとき、みんなはどんな道を歩んでいるのだろう。
人間って、不思議だ。
2009年08月24日
アメリカの現実そして不法移民たち
ロサンゼルスからカリフォルニアを南下してサンディエゴへ。
国境の町ティファナ。そしてアリゾナ・レイクハバスシティ。
ネバダを経由してロスに戻り、サンタモニカのコンドミニアムに滞在して、
日本へという具合に、毎年10月になると、このコースを車で回った。
仕事を兼ねての遊び旅だ。
旅の目的地であるレイクハバスシティへ至る道沿いには、
果てしなく延々と広がるトマト畑があった。この、「延々」という表現は、
日本のそれとは比較にならない。唯一、近いのが北海道であろうか。
ただしその畑のなかにはミサイルの発射台らしきものが隠されていたり、
畑と畑を分断して日本の有名な種苗会社の研究施設がそびえていたり、
単なるのどかな田園地帯の光景ではなかった。
野球場を何十、何百も重ねたかのようなトマト畑のなかで、うごめく黒い影が、
こちららもまた、何十何百の規模で見えた。それが「人」だとわかるまで、
私の頭が理解するには数秒の間があったはずだ。
道路沿いに止まったバスから降りた大勢の人たちが、
その人数に似合わぬ静けさとともに、粛々と並んで畑の中に入っていく。
メキシカンである。たぶん、不法移民たち。日雇いの過酷な農作業だ。
一日中、中腰の姿勢でトマトをもぎ続けて、
彼らはいったい何ドル得ることができるのだろう。
目の前に広がるアメリカの現実は、
「怒りの葡萄」から何一つ変わっていないことを教えてくれた。
これらの、私が見た光景は約15年ほど前のことである。ところがいまも、
なんら変わらないことをこの記事が教えてくれた。
いや、それ以上にひどくなっている。
「極貧ブルース」が聞こえる
米国境線、仕事をもらえぬ不法移民物語
場末の小さなカジノで出会ったメキシカンたちは、
いずれも、疲れた顔に悲しげな目をしていた。
いまも彼らは、トマト畑で働いているのだろうか。
国境の町ティファナ。そしてアリゾナ・レイクハバスシティ。
ネバダを経由してロスに戻り、サンタモニカのコンドミニアムに滞在して、
日本へという具合に、毎年10月になると、このコースを車で回った。
仕事を兼ねての遊び旅だ。
旅の目的地であるレイクハバスシティへ至る道沿いには、
果てしなく延々と広がるトマト畑があった。この、「延々」という表現は、
日本のそれとは比較にならない。唯一、近いのが北海道であろうか。
ただしその畑のなかにはミサイルの発射台らしきものが隠されていたり、
畑と畑を分断して日本の有名な種苗会社の研究施設がそびえていたり、
単なるのどかな田園地帯の光景ではなかった。
野球場を何十、何百も重ねたかのようなトマト畑のなかで、うごめく黒い影が、
こちららもまた、何十何百の規模で見えた。それが「人」だとわかるまで、
私の頭が理解するには数秒の間があったはずだ。
道路沿いに止まったバスから降りた大勢の人たちが、
その人数に似合わぬ静けさとともに、粛々と並んで畑の中に入っていく。
メキシカンである。たぶん、不法移民たち。日雇いの過酷な農作業だ。
一日中、中腰の姿勢でトマトをもぎ続けて、
彼らはいったい何ドル得ることができるのだろう。
目の前に広がるアメリカの現実は、
「怒りの葡萄」から何一つ変わっていないことを教えてくれた。
これらの、私が見た光景は約15年ほど前のことである。ところがいまも、
なんら変わらないことをこの記事が教えてくれた。
いや、それ以上にひどくなっている。
「極貧ブルース」が聞こえる
米国境線、仕事をもらえぬ不法移民物語
場末の小さなカジノで出会ったメキシカンたちは、
いずれも、疲れた顔に悲しげな目をしていた。
いまも彼らは、トマト畑で働いているのだろうか。
2009年08月21日
祖母が45歳の時に私が生まれた
テレビで介護に関する特集を見ていて、忘れていた記憶がよみがえりました。
その特集は、老いた親が子供にあてた手紙をもとにした歌です。その歌を聞いて、毎日の介護で追い詰められた人たちが、かつて、親がどれほどの愛情を注いでくれたかを思い出し、親との関係を介護を通して見つめ直そうというものでした。
私が、介護と呼べるものを最初にやったのは19歳でした。祖母に付き添って半年間、病院で寝泊まりしました。祖父がいて、父も居ましたが、当時の考えでは、こーいうことは「女がするものである」との考えにより、女手がないため地元に呼び戻されたわけです。
祖母が亡くなったのは64歳です。悪性腫瘍により痛みがとても酷くて、かといって当時は末期癌の患者であっても、モルヒネ常注は不可。祖母は、痛みにのたうちまわりながら亡くなりました。
彼女が45歳のときに孫の私が生まれた計算になります。ところがこの人は、どこに行っても私の母親と勘違いされていました。それほどに、若々しかったのです。しかし癌は、彼女の豊な髪と肌艶を奪い、肉をこそげ落としました。
介護をしているときは、患者が眠れなければ付添人も眠れません。うちは鹿児島系ですから、男は一切手伝ってくれない。半年間、ずーっと付き添って、家に帰れなかった私は、祖母の「痛いよー、痛いよー」と泣く声を聞きたくなくて、ベッドの横で自分の耳をふさいでいました。早く楽にしてやってくれと祈りながら。
私と祖母のケースは病気付添によるものであり、介護とは別かもしれませんが、どちらにしても血のつながりや人間関係にヒビが入ることだってありえます。本当に重い問題です。
その特集は、老いた親が子供にあてた手紙をもとにした歌です。その歌を聞いて、毎日の介護で追い詰められた人たちが、かつて、親がどれほどの愛情を注いでくれたかを思い出し、親との関係を介護を通して見つめ直そうというものでした。
私が、介護と呼べるものを最初にやったのは19歳でした。祖母に付き添って半年間、病院で寝泊まりしました。祖父がいて、父も居ましたが、当時の考えでは、こーいうことは「女がするものである」との考えにより、女手がないため地元に呼び戻されたわけです。
祖母が亡くなったのは64歳です。悪性腫瘍により痛みがとても酷くて、かといって当時は末期癌の患者であっても、モルヒネ常注は不可。祖母は、痛みにのたうちまわりながら亡くなりました。
彼女が45歳のときに孫の私が生まれた計算になります。ところがこの人は、どこに行っても私の母親と勘違いされていました。それほどに、若々しかったのです。しかし癌は、彼女の豊な髪と肌艶を奪い、肉をこそげ落としました。
介護をしているときは、患者が眠れなければ付添人も眠れません。うちは鹿児島系ですから、男は一切手伝ってくれない。半年間、ずーっと付き添って、家に帰れなかった私は、祖母の「痛いよー、痛いよー」と泣く声を聞きたくなくて、ベッドの横で自分の耳をふさいでいました。早く楽にしてやってくれと祈りながら。
私と祖母のケースは病気付添によるものであり、介護とは別かもしれませんが、どちらにしても血のつながりや人間関係にヒビが入ることだってありえます。本当に重い問題です。
タグ :介護問題
2009年07月28日
コザ十字路で交差する記憶
コザ十字路を経由して東西南北。沖縄の旧盆時期に、変わりゆく風景、変わらないものたちを通して、新たな風景の創出を試みるアートイベントが、実施されます。
アサヒアートフェスティバル2009
アートツーリズムで行こう
東西南北 十字路経由 アート蜜貿易
コザクロッシング ?変わりゆく風景?
主催 スタジオ解放区/共催 コザ銀天大学
参加されるアーティストは次の皆さんたち(順不同・敬称略)。
スタジオ解放区、アート蜜貿易社、アフロ夫妻、あしびっとワークス、 あたらプロジェクト、林僚児、藤森千夏、藁科啓、藁科邦利、平良一 樹、さとまん、野原大介、一柳亮太、菊原清史、ティトス・スプリー、 山里紗葉、小橋川啓・戸ケ瀬哲平、チQ、菅谷聡、大原真介、宮良賢哉、中村リコ
個人にとって記憶とは、いずれ忘れ去られて行く過去…。
引出しを整理していて、みつけた写真が何葉かあります。

沖縄に来た当初、私は、こんなバイクにも乗ってたんだっけ?!
そんなことすら忘れてました。
そして、沖縄に来る直前に出会ったのがパキスタンのロックバンド。
キリスト的な風貌が印象深いジャヌーンです。一緒に写っているのは
1999年当時の国連事務総長アナンさん。

このように、ついつい昔の事を考えてしまう、コザクロッシング。
旧盆シーズンの沖縄で、コザを交差して本部、石垣まで、さらには
過去と未来も交差して、土着現代アートが繰り広げられます。
アサヒアートフェスティバル2009
アートツーリズムで行こう
東西南北 十字路経由 アート蜜貿易
コザクロッシング ?変わりゆく風景?
主催 スタジオ解放区/共催 コザ銀天大学
参加されるアーティストは次の皆さんたち(順不同・敬称略)。
スタジオ解放区、アート蜜貿易社、アフロ夫妻、あしびっとワークス、 あたらプロジェクト、林僚児、藤森千夏、藁科啓、藁科邦利、平良一 樹、さとまん、野原大介、一柳亮太、菊原清史、ティトス・スプリー、 山里紗葉、小橋川啓・戸ケ瀬哲平、チQ、菅谷聡、大原真介、宮良賢哉、中村リコ
個人にとって記憶とは、いずれ忘れ去られて行く過去…。
引出しを整理していて、みつけた写真が何葉かあります。
沖縄に来た当初、私は、こんなバイクにも乗ってたんだっけ?!
そんなことすら忘れてました。
そして、沖縄に来る直前に出会ったのがパキスタンのロックバンド。
キリスト的な風貌が印象深いジャヌーンです。一緒に写っているのは
1999年当時の国連事務総長アナンさん。
このように、ついつい昔の事を考えてしまう、コザクロッシング。
旧盆シーズンの沖縄で、コザを交差して本部、石垣まで、さらには
過去と未来も交差して、土着現代アートが繰り広げられます。
2009年05月12日
ケーキをくれた理由
いちおー、私も母なもんですから、先日、ちょっとしたケーキをもらいました。
親に似て素直じゃないため、こーいうことが苦手な彼女、
「ケーキ買ったけど食べる?」で終わり。
ごーせいなカーネーションもなく、ささやかな小さなケーキ。
子どもに似て、私もぶっきらぼう派なので、ありがとーも言わず
知らないふりして「バクッ」とな♪





